冷めかかったお茶に熱いお湯を

極上のスパイスと妄想を

無機質な生活のなかで

 僕が飼っているオカメインコが天国へ旅立ってから1週間経った。

 お家に帰って玄関のドアを開けると、いつもは鳴き声が聞こえていたが今はない。羽繕い中にぼーっと眺めて「なんで鳥ってこんな姿になったのかな?」とか「生きていて幸せなのかな?」といつもは哲学的なことを考えて和んでいた。今ではそういうのがない。

 無機質なモノに囲まれて両親を過ごす日々。何かが物足りない。もう慣れたとはいえ、何かが物足りない。

 よくペットがいなくなって「命の大切さを知った」やら「家族である大切さを気づいた」などキレイ事を並べてお涙頂戴のことを言うが、僕はそういうことではなかった。何を感じたって?「この無機質な生活の中で生きていく意味はあるのだろうか?」や「なぜヒトは癒やしを求めるのか?」と感じるようになった。心理学というか哲学というかそんなことを考えてしまう。

 僕は「大量生産大量消費の時代はもうとっくに終わっている。人それぞれの幸せがあるのだから、一億総活躍とか高度経済成長時代のノリでは幸せにならない」と思った。「モノが溢れて豊かになったところで果たして人は幸せになったのか?」と。あれだけ真剣に考えて「だから人は動物を求めるのか」という答えを見つけたが。

 インターネットの世界では「ミニマニスト」と呼ばれる種族がいるけれど、彼らは「モノに溢れかえった生活に嫌になった」からそうなっただろう。「不要なモノがない生活」もなんだか楽しそう。僕はヘッドホン沼にハマりかけているけど。沼は別か。とにかく不要なモノを捨てるかリサイクルにしないとね。

P.S.

動くやつで無機質なモノでいいからぼーっと眺められるモノが欲しい。